先代犬を食べた話

 

 

世田谷の葬儀場に連れて行く前日、すっかりうんともすんとも言わなくなってしまったナナちゃんの横に布団を敷いて寝た。元々ふっくらしていた分、感触にもまだ柔らかさが残っていて毛もフワフワで、生前と変わらぬ姿の彼女を何度も撫でた。この子は本当に死んでいるのだろうか、朝目覚めたらまた何事もなかったかのようにのっそり起き上がってパンを求めてくるんじゃないか、なんて考えながら眠りについたが、結局そんな淡い期待も叶うことはなかった。
翌日、色とりどりのお花とパンと大好きなオモチャに囲まれながら意外にもあっさり葬儀は終了し、棺に横たわっているナナちゃんの、腹の毛と耳の毛をハサミで少しいただいた。最近はワンちゃんの毛を形見に持っておく人が多いらしいのだ。毛の長さがマチマチになりちょっぴりちんちくりんになってしまったが、それでもやっぱりナナちゃんは世界一可愛くて、それがどうしても苦しかった。
とうとう火葬の時間になってしまい、最後に身体中にチュウをして、骨が折れるほど抱き締めてから暗くて狭い焼却機の中へ彼女を見送った。バチン、とスイッチが入れられた瞬間、急に決定的な喪失感と絶望感に襲われて、ボーンとバチで叩かれた銅鑼のように頭がグラグラした。その時やっと、私の中で彼女は死んでしまったのだと思う。涙が止まらなくてまともに歩くことさえできず、母に支えられながら火葬場から出た。こんな歳になっても実体がなくなってしまうという現実は受け入れられなかった。このまま灰にされるくらいなら、私が食べてしまえばよかったとさえ思った。
ようやく焼却機から出てきた太くしっかりとした大腿骨、細くしなやかな指先の骨、全てはやはりナナちゃんそのものであった。それらを素手で骨壷におさめ終わった時、あんまりにも悲しくなって、指先についている、小さく小さくなった彼女をペロリと舐めてしまった。いけないと思いながらも、どこかで深く安堵して、舌に広がる彼女のほろ苦さにまたとめどなく涙が溢れた。わたしは犬を、食べてしまった。 

今更リップヴァンウィンクルの花嫁の話

 


ユーロスペースで観ました。いかにも岩井俊二節の絵面の綺麗な映画だった。

本当に特筆するべきなのは絵面の美しさくらい。あと、やたら長い。4時間くらいあった。大したストーリーもないくせにそんな長時間客の集中力を保たせるのも実力のうちなのだろう。個人的には、劇中で揺れる毒クラゲや古びた洋館やメイド服や純白のウェディングドレスが登場し始めたあたりから完全に萎えてしまったけど。ほら!お前らが好きなやつのオンパレードや!心酔せえ!って魂胆があまりに丸見えで、サブカルウケ要素重い〜〜!どれか1つに絞って〜〜!と胸焼けしてしまいそうになった。私はちょっと斜に構えた嫌な人間になって、岩井はサブカル層に媚び始めたんだな。大変厭らしくて良くないことだが、方向性の違いってやつだわね、しょうがないよね。ツイッターで同映画のことを調べたら、案の定「クラゲに囲まれてメイド服でレズキッス最高〜〜モウマンタイ〜〜」という意見しかなかったのであちらでは何も言えません。岩井厨怖いし。岩井ワールドは徹底的な映像美主義でやり過ぎなくらいのサブカルホイホイ要素盛りだくさんってことくらい私だってわかってるし。大人だからな、大人だから言いませんよ。

食人映画の話

 

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つい最近グリーンインフェルノを観た。予想していたよりもゴア要素は強くない上にアホっぽい描写の連続で(吹き矢など)ギャグ要素も強めだったけど、この時代にここまで古典的で模範的な食人映画を作り上げたことに感動した。目新しい要素は何もないし、言ってしまえば今まで量産されてきた食人映画のオマージュに近いと思う。しかしながらエンドロールで「ルッジェーロデオダートに捧ぐ」と出てきたのでイーライロスの食人族をはじめ食人映画というジャンルへの情熱を感じられて良かった。グリーンインフェルノはどちらかというとレンツィの人喰族的な話の展開だったけど。イーライロスという監督は本当に熱心で真面目なオタクなんだなと思う。ちなみに主演の女優さんはイーライロスの奥さんらしい、ご両親に挨拶に行く時「僕が監督する食人映画にオファーしたのがきっかけです」とか言うんだろうか。結婚式でグリーンインフェルノの映像を流したりするんだろうか…。(アフターショックという映画で共演していたらしいです)

 

食人映画といえばイタリアが誇るモンド映画から派生したジャンルである。ヤコペッティを凌ぐとまで言われたウンベルトレンツィの「怪奇!魔境の裸族」から始め、一躍食人映画というジャンルを世間に知らしめたルッジェーロデオダートの「食人族」、ジョーダマトの「アマゾンの腹裂き族」や「喰人鬼の島」など70〜80年代にかけて続々と生産されてきた。

私が観れた作品の限りでの感想は、レンツィの食人映画は絵面は過激なんだけど「野蛮な民族達が住む未開の地にズカズカと入り込み残酷な姿を記録しようとした文明人達が因果応報で痛い目に遭う。その中で本当に残酷で野蛮なのはどちらなのであろうか?と逆説的なヒューマニズムを見出す」というある意味社会派?なテーマの作品になっている気がする。(なってはいない) デオダートの映画では「未開の地に住む蛮族」をあくまで恐怖の対象でしか描いていない。文明と未開の徹底的なまでの二項対立。こうやって書くとレンツィ作品とデオダート作品は同ジャンルにおいても対照的な位置付けになるのかもしれない。

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一方でジョーダマトの食人映画ではピンクな要素もしっかり取り入りたり、妊婦の腹を裂いて胎児を食べちゃうシーンさえもポップでキャッチー。完全にギャグに大振りしてる感じ。鬱屈した気分の時はダマトの映画を観たらいいと思う。

 

 

これは食人映画ではないけど、ダマトの喰人鬼の島の続編?に当たるHorrible(ABSURDとかいう別名もあるっぽい)のビデオを探しています。VHSしかないのかな。見つけた方は教えてください。

躁状態の話

 

私は躁うつ病です。躁うつ病なんてただの情緒不安定で気分や性格の問題なのでは?と思っていたのですが、最近やっとこの疾患と付き合っていくことの難しさを理解しました。世間的には躁うつの躁部分があまり認知されていない気がしたので少しだけお話します。ちなみに、今は躁状態が1週間ほど続いています。

躁うつ病とは、躁状態鬱状態が交互に来る病気のことです。躁状態の時は、多幸感と根拠のない自信に満ち溢れ、とても行動的になります。一見良いことばかりなのでは?と思われがちですが、常に気分が高揚している分、何かに対して攻撃的になったり苛々してしまったり、異常なまでに散財してしまったり、不注意によるミスが増えてしまったり、正直なところ頭のネジが3本くらいぶっ飛んでしまっている状態なのです。

そして躁状態の一番恐ろしい点は、嫌な意味で鈍感になってしまっているため自身のリミッターがわからないところ。毎日2時間ほどの睡眠で仕事をいつも以上に頑張ってしまったり、ろくに休養も取らず動き回り続けたり、気が付けば疲労困憊で身体が限界を迎え鬱状態へと移行してしまいます。そうなるともうドン底です。屍の如く横たわるだけで何も出来なくなります。

今年の4月中、ずっと躁状態に陥っており、てっきりうつが治ったのかと勘違いして毎日ルンルンしていました。ところが5月になって急に鬱状態に入ってしまい、躁とうつの落差が酷過ぎて精神がドン底まで落ちきり、結局3回も自殺未遂をしてしまいました。これがトラウマになってしまい、躁状態になるとまた鬱状態になった時に何かやらかすのではないかという不安から常にイライラしてしまいます。

一度躁状態に陥ってしまったら、毎日欠かさず安定剤を飲んで、なるべくダウナー系の頓服で鎮静させたり、無理矢理休養を取って身体を休ませるしか方法はないんです。一体いつになったら治るのでしょうか、正直ただのうつよりもタチが悪いなぁと思います。

シリアルママのDVDを買った

 

値段もそこそこしたんだよ。発掘良品!って書いてあったから買ったのに再生したらガタガタ。モザイク処理でもかかってんのか?ってくらいガタガタ。1シーン再生するのにどんだけ止まるんじゃ!娘の彼氏の腹突き刺してレバー取り出したところで静止するな!ディスク磨いたりしてみたけどイマイチ直らない。失敗した。こんなことならレンタルにすら出されてないフィメールトラブルを買うべきだった。金の神様に愛されてないなってつくづく思う。とほほ

盲信するキモさ

 

盲信するという行為が超嫌いなんだよな。宣教師という存在も嫌い。所謂宗教が嫌いなのかもしれない。無宗教はおかしい!って主張してる人の気持ちもわからなくはないけど。盲信していること、そこから形成される価値観を人に押し付けないでほしい。素敵な何かにのめりこむのは良い。でも盲信はダメだ。全ての人や物や事象の良いところ悪いところをちゃんと把握しよう。嘘はちゃんと見抜こう。客観性を失ってはいけない。バランス良く在りたい。全てがバランス良く在ってほしい。何事も中庸。中庸が大事なんです。